永平寺第78世貫首宮崎奕保禅師
「人間はまねをせなあかん。学ぶということはまねをするというところから出ておる。1日まねをしたら1日のまねや。ところが一生まねしておったらまねがほんまもんや。」
「人間はいつ死んでもいいと思うておったのが、悟りやと思うておった。ところが、それは間違いやった。平気で生きておることが悟りやった。」
「ああせよと 口で言うより こうせよと してみせるこそ 教えなり」
「道元禅師様の坐禅ということは すべてがみな禅だ 禅というたら 何か殊更にあるように思っておる そうではなくて そのものと一つになっていくことが 禅だから 歩いたら歩いた禅 しゃべったら しゃべったで しゃべることが禅だ。スリッパを脱ぐのも 坐禅の姿や スリッパをそろえるのが 当たり前のこっちゃ 例えばスリッパがいがんでおったら ほうっておけないんだ スリッパがいがんでおるということは 自分がいがんでおるんだ 自分がいがんでおるから いがんだやつが 直せないんだよ。だから 物を置いても ちぐはぐに置くのと まっすぐに置くのと すべて心が表れておるんだから 心がまっすぐであったら すべての物を まっすぐにする必要がある 修行をしておるんじゃなくて 当たり前のことをやっておるんや それよりやることないんだ。」
「『三界(さんがい)は唯心像(ゆいしんぞう)なり』という言葉お経にある。すべては心だという意味だ。だから自分の体を正しくするというのが大事だ。心を真っ直ぐにするには、坐禅をして静かな心にならなくてはいけない。静かな心になれば心が澄んでいるというのかな、いつも心が落ち着いておる。そうすると、正しいことが心になる。正しいことが心になったら、思うことが真っ直ぐになる。思うことが真っ直ぐになると、言うことが真っ直ぐになる。言うことが真っ直ぐになったら、行うことが真っ直ぐにならなくてはならない。」
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